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ティヴォリのエステ家別荘
写真: mmxbass / Public domain / Wikimedia Commons · トリミングあり

ティヴォリのエステ家別荘

Villa d'Este
WHC 10252001年登録41.96°N 12.80°EWikipedia 47言語

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時間の物差し
前3000年起点 1560年現在

成り立ち

フェラーラ公アルフォンソ1世の次男、枢機卿イッポーリト2世・デステは、1549年12月3日に枢機卿団から終身のティヴォリ総督に任じられた。地位にふさわしい館を望んだ彼のために、ピッロ・リゴーリオが館と庭園を設計し、近くのハドリアヌス帝の別荘の遺跡から大理石や彫像を運んだ。工事は1560年7月に始まった。

1563年から1565年には斜面を削って段丘をつくり、アニエーネ川の水を引いた。1566年から1577年には「百の噴水」がつくられ、すべての噴水はポンプを使わず高低差だけで水を送る。イッポーリトは1572年12月2日にローマで没した。1660年から1661年にはジャン・ロレンツォ・ベルニーニがビッキエローネの噴水をつくった。

1695年以後、維持費がかさんで荒れはじめ、1796年にはハプスブルク家の手に渡った。1850年から1896年に館を所有した枢機卿グスタフ・フォン・ホーエンローエは館と庭を修復した。1865年から1885年にここを訪れたフランツ・リストは《エステ荘の噴水》を作曲した。第一次世界大戦後にイタリア国家が取得し、1922年に大規模な修復が始まった。2001年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。