ファールンにある大銅山の鉱業地域
Falun Mine
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時間の物差し
前3000年起点 900年現在
成り立ち
スウェーデン中部ファールンの銅山について書かれた最初の文書は1288年のもので、ヴェステロース司教が領地と引きかえに鉱山の8分の1の権利を得たと記す。1347年の特許状は、精錬炉の持ち分に応じて鉱山を分け合う自由鉱夫の仕組みを定めた。
岩を火で熱してもろくし、くさびで割る掘り方が19世紀の終わりまで続いた。17世紀には生産が頂点に達し、1650年には3000トンを超える銅を出した。その収入はスウェーデンの戦争をまかない、枢密院は鉱山を国の宝庫と呼んだ。1687年の夏至の前夜に大崩落が起きたが、鉱夫が休む日だったため大惨事にはならなかった。
18世紀に銅が減ると、会社は鉄と木材、そしてファールン・レッドの塗料に手を広げた。1992年12月8日に最後の発破が行われ、採掘は終わった。大きな縦穴ストーラ・ステーテン、17世紀に計画された町、鉱夫の家々が2001年に世界遺産に登録された。
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