マサダ
Masada
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時間の物差し
前3000年起点 前37年現在
成り立ち
マサダは死海の西岸にそびえ、周囲から400m以上の高さをもつ岩の台地である。ユダヤの王ヘロデは前37〜前31年に頂上を要塞とし、2つの宮殿を築いた。
66年、シカリ派がローマの守備隊を策略で追い出して台地を占めた。第一次ユダヤ戦争の最後、ルキウス・フラウィウス・シルウァ率いる第10軍団フレテンシスが台地を囲み、斜路を築いて城壁を破った。ヨセフスは守備側の960人が自ら命を絶ったと書くが、発掘で見つかった遺骨は多くて28人分で、その記述をめぐっては議論がある。
台地を囲むローマ軍の陣営と斜路は、現存するローマの攻囲施設として最も完全なものである。6世紀にビザンツの修道士の集落が消えたのち、遺跡は長く人の手が入らなかった。1963〜1965年にイガエル・ヤディンが発掘し、2001年に世界遺産に登録された。
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