デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群
Derbent Lighthouse
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時間の物差し
前3000年起点 前700年現在
成り立ち
デルベントはカスピ海の西岸、大カフカス山脈の山すそと海のあいだが最も狭まる場所にある。「カスピの門」と呼ばれるこの通り道を押さえるため、丘の上には紀元前8〜7世紀にすでに砦があった。4世紀末、ササン朝ペルシアがこの地を征服した。
今の要塞と町は6世紀、北方の遊牧民に備えるササン朝の北の防衛線として築かれ、工事の大部分はホスロー1世の時代のものとされる。石造りの2本の平行な城壁が海岸から山の上の城塞ナルイン・カラまで延び、そのあいだに町がつくられた。城壁の厚さは2.3〜3.8mで、海へ約500m突き出して港を守り、西の山中へも約40kmの「山の壁」が続いた。
7世紀からはアラブ、13世紀にモンゴル、14世紀にティムール朝が支配し、17世紀初めにサファヴィー朝のアッバース1世がペルシアの手に取り戻した。18世紀にペルシアとロシアが争い、19世紀初めにロシアの主権が認められた。1820年に南の城壁の多くが取り壊されて下町の建設が始まったが、上の町は中世の姿を残し、2003年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。