マプングブエ
Mapungubwe Cultural Landscape
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時間の物差し
前3000年起点 900年現在
成り立ち
リンポポ川とシャシェ川の合流点に、900年ごろジゾ文化の人々がシュローダに住みついた。1000年ごろにはレパーズ・コピエ文化の人々がバンバンディヤナロ(K2)に移り、牛の放牧と農耕に加えて、東アフリカ沿岸のスワヒリ都市を通じたインド洋交易で富をたくわえた。K2の人口は1200年までに約1,500人に達した。
1200年ごろ雨の多い時期が終わると、1220年ごろ支配層は古い雨乞いの場だったマプングブエの丘の頂に移り、人々はそのふもとに住んだ。1250年には人口約5,000人となり、金と象牙を海岸へ送り、インドや東南アジアのガラス玉を受け取った。王国は南部アフリカ亜大陸で最大の国家に育ったが、14世紀に放棄された。
地元の人々は丘を聖地として近づかなかったが、1933年にファン・グラーン家の一行が地元の案内人に道を教えさせて丘に登り、金の装身具と埋葬を見つけた。出土品はプレトリア大学の管理下に入り、金箔で覆われた木製のサイの像を含むコレクションは今プレトリアのマプングブエ博物館にある。1933年に掘り出された遺骨は2007年11月20日に丘へ埋め戻され、文化的景観は2003年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。