高句麗前期の都城と古墳
Capital Cities and Tombs of the Ancient Koguryo Kingdom
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時間の物差し
前3000年起点 前37年現在
成り立ち
高句麗前期の都城と古墳は、中国東北部の遼寧省桓仁と吉林省集安に残る、3つの都城と40基の古墳からなる遺跡群である。高句麗は紀元前37年に興り、最初の都は桓仁の五女山城に置かれた。427年に都が平壌へ移るまで、この地域が王国の中心だった。
都はやがて鴨緑江沿いの平地にある国内城へ移り、背後の山城である丸都山城がこれを守った。丸都山城は244年に魏軍、341年に鮮卑の慕容氏に攻め落とされ、都城は戦乱のたびに修復された。414年には長寿王が父の広開土王をたたえる石碑を建てた。高さ約6.39mの花崗岩に漢文を刻んだこの碑は、王国の建国伝承を伝える。
668年に高句麗が滅びると、この地は長く顧みられなかった。1876年ごろ、地元の役人で金石学に通じた関月山が、泥と草に埋もれた広開土王碑を見つけた。1882年には碑文を読むために草木が焼き払われ、碑の表面が傷んだ。遺跡群は2004年に世界遺産に登録され、同じ年に北朝鮮の高句麗古墳群も登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。