写真: 「Naghshe Jahan Square Isfahan modified2」Arad Mojtahedi / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり
イマーム広場
Naqsh-e Jahan Square
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時間の物差し
前3000年起点 1598年現在
成り立ち
1598年、サファヴィー朝のアッバース1世は都をカズヴィーンからイスファハーンへ移し、この年から1629年にかけて広場を整えた。広場は長さ560m、幅160mで約9haあり、「世界の像」を意味するナグシェ・ジャハーンの名で呼ばれた。主任建築家はシャイフ・バハーイーである。
南には王のモスク、東にはシャイフ・ロトフォッラー・モスク、西にはアリー・カープー宮殿、北には全長2kmのバザールへ通じる門が並ぶ。シャイフ・ロトフォッラー・モスクは1602/03年に着工し1618/19年に完成した宮廷専用のモスクで、王の義父にあたる学者の名を冠している。アリー・カープーは高さ48mの6階建てで、王たちはその上階から広場のポロを観戦した。
1617年に訪れたイタリア人ピエトロ・デッラ・ヴァッレは、この広場がコンスタンティノープルやキリスト教世界のどこよりも優れていると書いた。1979年以前は「王の広場」と呼ばれ、今は「イマーム広場」とも呼ばれる。1932年に国の文化財に登録され、1979年に世界遺産となった。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。