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チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群
写真: 「Cerveteri, necropoli della banditaccia, via sepolcrale principale, 02」Sailko / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群

Etruscan Necropolises of Cerveteri and Tarquinia
WHC 11582004年登録42.01°N 12.10°EWikipedia 21言語

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時間の物差し
前3000年起点 前900年現在

成り立ち

チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群は、ローマの北に広がる2つのネクロポリス(死者の町)である。チェルヴェーテリのバンディタッチャとタルクイーニアのモンテロッツィからなり、墓は紀元前9世紀から紀元前1世紀にわたって造られた。エトルリア文明を知るうえで、最も重要な手がかりの一つとされる。

チェルヴェーテリは古代ローマ人にカエレと呼ばれたエトルリアの都市で、紀元前600年ごろの最盛期には2万5000〜4万人ほどが住んでいたと推定される。バンディタッチャには数千の墓が通りや広場をもつ町のように並び、凝灰岩を掘った墓室は廊下と広間、いくつもの部屋をもつ家の形をしている。マトゥナ家の「浮き彫りの墓」は1847年に見つかり、壁一面に家財道具や武具、ペットが漆喰の浮き彫りで表されている。

タルクイーニアのモンテロッツィには岩を掘った墓が約6000あり、そのうち約200の墓室に壁画が描かれている。最古の壁画墓は紀元前7世紀にさかのぼる。壁画には儀礼や動物、踊り、楽器が描かれ、「豹の墓」や「狩猟と漁撈の墓」がよく知られる。出土品と一部の壁画は保存のため近くのタルクイーニア国立博物館に移された。2004年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。