ヤロスラヴリ市街の歴史地区
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
成り立ち
ヤロスラヴリはモスクワの北東約250km、ヴォルガ川とコトロスリ川の合流点にある。キエフ・ルーシの公ヤロスラフ賢公が、ロストフを治めていた988年から1010年のあいだに、川の高い岸に守られた岬に最初の砦を築いたとされる。記録に残る最初の出来事は1071年のロストフの蜂起である。のちにヤロスラヴリ公国の都となり、1463年にモスクワ大公国に併合された。
12世紀末に異教の神殿の跡に建てられたスパソ・プレオブラジェンスキー修道院は、上ヴォルガでもっとも古い修道院の一つで、1506年から1516年に建った大聖堂は町に残るもっとも古い建物である。16世紀、ヴォルガ川はモスクワと北の港アルハンゲリスクを結ぶ交易路となり、町は大きな商業の中心となった。1612年4月から6月には、ミーニンとポジャルスキーの国民軍がここにとどまり、町は事実上のロシアの首都となった。
17世紀末には人口約1万5000の、モスクワに次ぐ国内第2の都市となり、豊かな商人の寄進で石造の教会が数多く建てられた。1658年の大火では木造のクレムリンも焼けた。1763年にエカチェリーナ2世が全国の都市計画の改革を命じると、町は1769年に新しい計画を採り、1778年にそれを改めて、イリインスカヤ広場と預言者エリヤ教会を中心とする放射状の街路と新古典主義の建物に整えられた。2005年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。