ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群
Humberstone and Santa Laura Saltpeter Works
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時間の物差し
前3000年起点 1872年現在
成り立ち
ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群は、チリ北部の港町イキケから約45kmの、世界で最も乾いた砂漠の一つに残る2つの工場跡である。1872年、この地がまだペルー領だったころ、リマ出身のギジェルモ・ウェンデルの会社がサンタ・ラウラを、ペルー硝石会社がラ・パルマ(のちのハンバーストーン)を開いた。
1880年から60年以上にわたり、チリ、ペルー、ボリビアから来た数千人の労働者が世界最大の硝石鉱床から肥料となる硝酸ナトリウムを作り、南北アメリカとヨーロッパの農地を変え、チリに大きな富をもたらした。会社町に住んだ労働者は「パンピーノ」と呼ばれ、独自の言葉と連帯、社会正義を求める早い時期の運動で知られる共同体の文化を育てた。最盛期には2つの町に約4000人が住んだ。
1929年の世界恐慌と合成肥料の普及で硝石業は行き詰まり、1934年にラ・パルマは「オフィシナ・サンティアゴ・ハンバーストーン」と改名された。2つの工場は1960年に放棄され、1970年に国定記念物となったが、その後も解体や略奪が続いた。2005年に世界遺産に登録されると同時に危機遺産となり、修復が進んだ2019年に危機遺産から外された。
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