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歴史的城塞都市ハラール・ジュゴル
写真: 「Town of Harar with Citywall」Giustino / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

歴史的城塞都市ハラール・ジュゴル

Harar Jugol, the Fortified Historic Town
WHC 11892006年登録9.31°N 42.14°EWikipedia 3言語

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時間の物差し
前3000年起点 1520年現在

成り立ち

ハラールはエチオピア東部、深い峡谷に囲まれた高原の上にある。町を囲む城壁は13世紀から16世紀にかけて築かれた。1520年、スルタンのアブー・バクル・イブン・ムハンマドのもとでアダル・スルタン国の都となり、その後イマーム・アフマド・イブン・イブラーヒームが、この町を拠点にキリスト教国エチオピアへの遠征を重ねた。

1543年にイマーム・アフマドが敗れた後、1551年からヌール・イブン・ムジャーヒドが町を治めた。オロモの進出に対抗するため、ヌールは町のまわりに大きな城壁を築いた。17世紀にはアリー・イブン・ダーウードがハラール首長国を開き、首長国は独自の貨幣を鋳造した。1761年には大モスクのミナレットが建てられ、町はこの地域のイスラム信仰の中心となった。

1870年代にはエジプトが町を占領し、城壁をかさ上げし、首長の古い宮殿を壊して2階建ての総督邸を建てた。1885年に首長国が再興されたが、1887年、メネリク2世がチェレンコの戦いで勝ち、町を征服した。城壁の内側には82のモスクと102の聖廟が残る。2006年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。