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トンブクトゥ

Timbuktu
定番WHC 1191988年登録16.77°N 3.01°WWikipedia 130言語

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時間の物差し
前3000年起点 1325年現在

成り立ち

トンブクトゥはサハラ砂漠の入口、ニジェール川の近くにあり、北からの岩塩と南からの金や穀物が行き交う交易の町だった。1325年ごろマリ帝国のマンサ・ムーサが訪れた後に町は大きく栄え、メッカ巡礼から戻ったムーサはジンガレイベル・モスクの最初の建設と結びつけられている。

町は15〜16世紀に経済と文化の頂点を迎え、UNESCOによればサンコーレ大学には180のコーラン学校と25,000人の学生がいた。トンブクトゥのカーディー(裁判官)アル=アキブは1570〜1583年にジンガレイベル・モスクを建て直して広げ、1578〜1582年にはサンコーレ・モスクの聖域をメッカのカアバと同じ寸法に造り直した。1591年にモロッコ軍が町を占領し、1593年には多くの学者が処刑または追放された。

1988年に世界遺産となったが、砂の侵入などのため1990〜2005年に危機遺産に登録された。2012年に武装勢力が町を制圧し、アンサール・ディーンがシディ・マフムードの霊廟などを破壊した。町は同じ年に再び危機遺産となり、2014年3月に霊廟の再建が始まった。

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