ネスヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体
Architectural, Residential and Cultural Complex of the Radziwill Family at Nesvizh
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
アプリで記録する
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
成り立ち
ベラルーシ中部のネスヴィジは1533年からラジヴィウ家の領地となった。1580年代、ミコワイ・クシシュトフ・ラジヴィウは中世の城の跡に3階建ての館を建て始め、1604年までに完成させた。ラジヴィウ家はここを1939年まで持ち続けた。
1706年、大北方戦争でスウェーデンのカール12世の軍が城を略奪し、要塞を壊した。その後一族はドイツやイタリアの建築家を招いて城を大きく改め、六角形の中庭を囲む10の建物をつないだ。城は堤と石の橋でコーパス・クリスティ教会と結ばれる。
ベラルーシ、ポーランド、イタリア、ドイツの職人がここで1つの建築の流派をつくり、中央ヨーロッパとロシアの建築に影響を与えた。城と教会、約100haの庭園と池が2005年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。