リドー運河
Rideau Canal World Heritage Site
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時間の物差し
前3000年起点 1826年現在
成り立ち
1812年の米英戦争の後、イギリスはアメリカがセントローレンス川沿いにアッパー・カナダへ攻め込む計画を知った。そうなればモントリオールとキングストンの海軍基地が分断されるため、より安全な軍の補給路としてリドー川沿いの水路が計画された。
1826年、王立工兵隊のジョン・バイ中佐が工事の指揮をとった。彼は新しい水路を掘る代わりに、ダムで水位を上げて早瀬を沈める方式を選んだ。1832年春に完成し、5月22日にキングストンを出た最初の蒸気船が29日にバイタウン(今のオタワ)に着いた。全長202kmで、多くの閘門をもつ。工事では最大1000人の労働者が、主にマラリアで命を落とした。
1849年にセントローレンス川が閘門で通れるようになり、1854年に鉄道が開くと、運河の貨物輸送は衰えた。運河は北アメリカで最も古い、休まず使われ続けてきた運河とされ、2007年に世界遺産に登録された。冬には凍った水面が長さ7.8kmのスケートリンクになる。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。