ベヒストゥン
Behistun
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時間の物差し
前3000年起点 前521年現在
成り立ち
ベヒストゥンはイラン西部ケルマーンシャー州にある石灰岩の崖で、かつてバビロンとエクバタナを結んだ古道を見下ろす。アケメネス朝のダレイオス1世はここに、即位をめぐって争った者たちや離反した州総督への戦いを記す浮彫と碑文を刻ませた。ユネスコは命じられた年を前521年とする。王に踏みつけられて横たわる人物は、伝統的に王位僭称者ガウマタとされる。
碑文は高さ約15m、幅約25mあり、古代ペルシア語、エラム語、バビロニア語の3つの楔形文字で同じ内容が書かれている。英国の東洋学者ヘンリー・ローリンソンは1835年から本格的に研究を始め、地元の少年の助けを借りて崖を登って写し取り、1847年に完全な写しをヨーロッパへ送った。
この碑文は19世紀に初めて解読された楔形文字となり、アッシリア学にとってエジプト学のロゼッタ・ストーンに匹敵する意味をもつ。遺跡には先史時代からメディア、アケメネス、ササン、イルハン朝にいたる遺構が残り、187haが2006年に世界遺産に登録された。
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