写真: 「Crac des Chevaliers and Qal’at Salah El-Din-114012」Ron Van Oers / CC BY-SA 3.0 igo / Wikimedia Commons · トリミングあり
クラック・デ・シュヴァリエとサラディン城
Crac des Chevaliers and Qal’at Salah El-Din
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時間の物差し
前3000年起点 1031年現在
成り立ち
シリア西部の2つの城は、11〜13世紀のビザンツ、十字軍、イスラームの築城技術が移り変わるさまを伝える。クラック・デ・シュヴァリエの場所には1031年、ミルダース朝の太守がクルド人の部族を住まわせ、「クルド人の砦」と呼ばれた。1110年に十字軍のタンクレードが占領し、1142年にはトリポリ伯レーモン2世が聖ヨハネ騎士団に与えた。
騎士団は1142年から1271年にかけて城を築き直し、1170年と1202年の地震のあとも改修を重ねた。1271年、マムルーク朝が36日間の包囲の末に城を落とし、巨大な四角い塔を加えた。8つの円塔をもつこの城は、最もよく残る十字軍時代の城とされる。
もうひとつのサラディン城は、975年にビザンツ皇帝ヨハネス1世ツィミスケスが手に入れた砦で、12世紀初めにフランク人の城ソーヌとなった。岩を削った堀は深さ28m、長さ156mで、跳ね橋を支える高さ28mの岩柱が残る。1188年、サラディンの軍が3日間の包囲で城を落とした。2006年に世界遺産となり、2013年に危機遺産に登録された。クラック・デ・シュヴァリエは2012年に砲撃を受け、2013年7月には空爆で損傷した。
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