オウロ・プレット歴史地区
Historic Town of Ouro Preto
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時間の物差し
前3000年起点 1698年現在
成り立ち
1695年、マヌエル・ボルバ・ガトがヴェーリャス川で金を見つけ、ブラジルのゴールドラッシュが始まった。1698年に後のオウロ・プレットとなるヴィラ・リカの町ができ、1711年にはいくつかの集落がまとまってヴィラ・リカという自治体になった。一攫千金を夢見る何千もの人々が集まり、町は1720年からミナス・ジェライスの首都となった。
18世紀には公式の記録だけで800tの金がポルトガルへ送られた。富は芸術家を呼び寄せ、ミナス・バロックと呼ばれる様式が育った。その代表が、ポルトガル人の棟梁とアフリカ人奴隷の母のあいだに生まれ、ヴィラ・リカで洗礼を受けた彫刻家アレイジャディーニョで、代表作の一つがサン・フランシスコ・デ・アシス教会にある。1777年以後、彼は体が変形していく病に苦しみながら仕事を続けた。
1789年、この町でポルトガルからの独立を目指すミナスの陰謀が企てられたが失敗し、指導者チラデンテスは絞首刑となった。1823年5月20日、町は市に昇格してオウロ・プレット(黒い金)と改名された。19世紀に金が尽きると町の力は衰え、1897年には州都が新しく計画されたベロ・オリゾンテへ移った。教会や橋、泉が残る町は1980年に世界遺産に登録された。
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