StoodmarkEN
石見銀山
写真: Photo by 663highland / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

石見銀山

Iwami Ginzan Silver Mine
WHC 12462007年登録35.11°N 132.44°EWikipedia 37言語

Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。

時間の物差し
前3000年起点 1527年現在

成り立ち

石見銀山は1520年代、商人の神屋寿禎によって本格的な開発が始まった。1533年、寿禎は博多から宗丹と桂寿を招き、灰吹法で銀を精錬した。この技術は中国から朝鮮半島を経て伝わったもので、銀の生産量を大きく押し上げた。

銀山は大内氏、尼子氏、毛利氏の争奪の的となり、1562年の和議を経て毛利氏が手に入れた。1600年の関ヶ原の戦いのあと、徳川家康は11月に大久保長安らを送って銀山を接収し、幕府の直轄地とした。17世紀初めの最盛期には年に約38tの銀を産し、当時の日本の銀は世界の産出量の約3分の1を占めていた。

鉱脈が尽きて伝統的な採掘は19世紀後半に終わり、1923年に休山、1943年の水害のあと完全に閉山した。資産は間歩や製錬跡、鉱山町、城跡、港へ銀を運んだ街道、鞆ヶ浦、沖泊、温泉津の3つの港町からなる。2007年5月、ICOMOSは登録延期を勧告したが、日本側が補足資料で巻き返し、同年の世界遺産委員会で登録が決まった。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。