写真: 「Fels Cave Drawings 1」Phillip Capper from Wellington, New Zealand / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり
ロイ・マタ首長の領地
Chief Roi Mata’s Domain
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時間の物差し
前3000年起点 1600年現在
成り立ち
ロイ・マタは、いまのバヌアツ中部を治めた最高首長の称号である。その最後の保持者は1600年ごろに生きたとされ、長く続いた「エファテ大戦争」を終わらせた人物として語り継がれている。母系の血縁ナフラクを土地の分け方から結婚の決まりへと広げ、同じ母系に属する氏族どうしの戦いを戒め、和解の宴を始めたという。
世界遺産はその生と死に結びつく三つの場所からなる。エファテ島のマンガースの住まい、宴のあとに病に倒れて息を引き取ったと伝わるレレパ島のフェルズ洞窟、そして葬られたアルトク島である。洞窟の壁には赤と黒の絵が描かれ、黒い絵の一つは放射性炭素年代測定でロイ・マタの時代のものとされた。1967年の発掘では、アルトク島の墓で中心の人物を50体の男女と子どもの埋葬が囲んでいた。
ロイ・マタの死後マンガースは捨てられ、アルトク島は聖なる島として400年間、放牧も耕作も禁じられてきた。1994年に島全体が外国の投資家に貸し出されたことは大きな脅威となったが、口承と考古学が重なり合う場所として2008年、バヌアツ初の世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。