イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡 (568-774年)
Longobards in Italy, Places of Power
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時間の物差し
前3000年起点 568年現在
成り立ち
568年の春、王アルボインはアヴァール人を恐れてパンノニアを離れ、ランゴバルド族を率いてイタリアに入った。パヴィアは3年の包囲の末に572年に落ち、新しい王国の最初の首都となった。ゲルマン系のランゴバルド族はイタリアでキリスト教に改宗し、ローマ、ビザンツ、北方の伝統を混ぜた建築を残した。
753年、のちの王デシデリウスはブレシア公だったころ、妻アンサとともにサン・サルヴァトーレ修道院を建てた。ベネヴェント公アレキス2世は760年ごろサンタ・ソフィア教会をつくり、パヴィアにあったリウトプランド王の宮廷礼拝堂を手本にした。モンテ・サンタンジェロのサン・ミケーレ聖所は、7世紀にガルガーノを征服したランゴバルド族が自分たちの聖所とし、大天使ミカエル信仰を広めた。
774年、デシデリウスは降伏し、カール大帝がランゴバルド王を名乗った。南のベネヴェント公国はその後も事実上独立を保った。パウルス・ディアコヌスは787年から796年の間に『ランゴバルドの歴史』を書いた。2011年、チヴィダーレ・デル・フリウーリ、ブレシア、カステルセプリオ、スポレート、カンペッロ・スル・クリトゥンノ、ベネヴェント、モンテ・サンタンジェロの7か所が世界遺産となった。
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