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イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡 (568-774年)
写真: 「Cividale, tempietto longobardo 01」I, Sailko / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡 (568-774年)

Longobards in Italy, Places of Power
WHC 13182011年登録46.09°N 13.43°EWikipedia 35言語

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時間の物差し
前3000年起点 568年現在

成り立ち

568年の春、王アルボインはアヴァール人を恐れてパンノニアを離れ、ランゴバルド族を率いてイタリアに入った。パヴィアは3年の包囲の末に572年に落ち、新しい王国の最初の首都となった。ゲルマン系のランゴバルド族はイタリアでキリスト教に改宗し、ローマ、ビザンツ、北方の伝統を混ぜた建築を残した。

753年、のちの王デシデリウスはブレシア公だったころ、妻アンサとともにサン・サルヴァトーレ修道院を建てた。ベネヴェント公アレキス2世は760年ごろサンタ・ソフィア教会をつくり、パヴィアにあったリウトプランド王の宮廷礼拝堂を手本にした。モンテ・サンタンジェロのサン・ミケーレ聖所は、7世紀にガルガーノを征服したランゴバルド族が自分たちの聖所とし、大天使ミカエル信仰を広めた。

774年、デシデリウスは降伏し、カール大帝がランゴバルド王を名乗った。南のベネヴェント公国はその後も事実上独立を保った。パウルス・ディアコヌスは787年から796年の間に『ランゴバルドの歴史』を書いた。2011年、チヴィダーレ・デル・フリウーリ、ブレシア、カステルセプリオ、スポレート、カンペッロ・スル・クリトゥンノ、ベネヴェント、モンテ・サンタンジェロの7か所が世界遺産となった。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。