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ディルイーヤのトライフ
写真: 「At-Turaif District in ad-Dir'iyah (12)」Radosław Botev / CC BY 3.0 pl / Wikimedia Commons · トリミングあり

ディルイーヤのトライフ

At-Turaif District
WHC 13292010年登録24.73°N 46.58°EWikipedia 11言語

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成り立ち

ディルイーヤはリヤドの北西、ワーディー・ハニーファの谷にあるオアシスの町である。15世紀に気候がよくなり、沿岸から人々が移り住むなかでつくられ、16世紀に最初の繁栄を迎えた。1720年、アール・ムクリン家のサウード・ビン・ムハンマドが対立する一族を追い出して首長となり、サウード家の祖となった。

18世紀、宗教指導者ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブの改革を、2代目のイマーム、ムハンマド・ビン・サウードが受け入れ、1745年にそれを国家の道徳と法の土台とした。サウード家は1785年までにナジュドの町とオアシスを支配し、1803年にはメッカにまで力を及ぼした。トライフの城塞にはサルワ宮殿をはじめとする宮殿群が築かれ、ナジュド独特の日干しれんが建築の都となった。

勢力を警戒したオスマン帝国はエジプトから反撃し、イブラーヒーム・パシャの軍が1816〜18年にナジュドへ攻め込み、ディルイーヤを包囲して落とした。町は1818〜19年と1821年に略奪され、1824年に勢力を立て直したイマーム、トゥルキーはリヤドを新しい都とした。廃墟となったトライフは1982年に古物局が買い取り、2010年に世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。