メロエ島の考古遺跡群
Archaeological Sites of the Island of Meroe
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時間の物差し
前3000年起点 前800年現在
成り立ち
メロエ島の遺跡群は、前8世紀から後4世紀まで大きな勢力だったクシュ王国の中心地にある。ユネスコによれば、メロエはおよそ1世紀にわたってエジプトを支配した王たちの拠点だった。メロエはやがて王の主な居所となり、前3世紀からは王の大半がここに葬られた。
遺跡は都メロエと、宗教の中心だったムサワラト・エス・スフラとナカの3か所からなる。メロエには200基を超えるピラミッドが3群に分かれて立ち、陶器や鉄製品の生産と交易の跡も残る。前3世紀までには23文字のメロエ文字がエジプトの文字に代わったが、二言語の文書が少ないため言語はよく分かっていない。
前24年、女王アマニレナスの軍はローマ領エジプトを襲ってアウグストゥス像の頭部を持ち帰り、メロエの神殿の階段の下に埋めた。6世紀にナイル中流域にキリスト教が伝わると、クシュの文明はほぼ姿を消した。1830年代のフェルリーニによる宝探しは一部のピラミッドを壊した。遺跡は2011年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。