パナマのカリブ海側の要塞群
fortifications on the Caribbean Side of Panama: Portobelo-San Lorenzo
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時間の物差し
前3000年起点 1586年現在
成り立ち
パナマ地峡のカリブ海側は、ペルーの銀をスペインへ送る道の出口だった。1586年、イタリア人技師バウティスタ・アントネッリがポルトベロ湾とチャグレス川の河口を守る最初の計画を立て、1597年3月20日、ノンブレ・デ・ディオスに代わる港としてサン・フェリペ・デ・ポルトベロの町が開かれた。ポルトベロは名高い交易市で栄えた。
富を狙う攻撃は続いた。1668年にはヘンリー・モーガン率いる私掠船団がポルトベロを奪い、1670年にはチャグレス川河口のサン・ロレンソ要塞を廃墟にした。1739年にはイギリスのエドワード・ヴァーノン提督がポルトベロを占領した。18世紀、要塞は新古典様式で建て直された。
1848年にカリフォルニアで金が見つかると、チャグレスは地峡を越える人々の出発点としてにぎわったが、1855年にパナマ鉄道が完成するとさびれた。要塞群は1980年に世界遺産に登録されたが、劣化と管理の不足から2012年に危機遺産となった。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。