メッカへの入り口、歴史都市ジッダ
Al-Balad, Jeddah
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時間の物差し
前3000年起点 500年現在
成り立ち
ジッダは紅海の東岸にある港町である。6世紀にペルシア人が住みついて港を整え、7世紀にアラブ人が実権を握ると、大きな港としての地位が固まった。イスラームの中心となったメッカへエジプトや南アラビア、インドの品物を送る交易地となり、海路で来る巡礼者の玄関口にもなった。
10世紀にファーティマ朝のカイロがアッバース朝のバグダードをしのぐと、インド洋の交易はペルシア湾から紅海へ移り、ジッダは栄える港になった。1425年からはマムルーク朝のスルタンがジッダの関税を取り立て、町はやがてアデンに代わる主要な港となった。1517年4月13日にはポルトガル艦隊が町の前に現れたが、作戦は失敗に終わった。
狭い敷地のため、とくに町の北部では7階建てにもなる塔の家が建てられた。壁はサンゴ石を石灰モルタルで積んで木材で補強し、透かし彫りの木の出窓ローシャンが風を通した。残る塔の家の多くは19世紀末に商人たちが建てたものである。巡礼者と石油収入の増加で町は外へ広がり、城壁は1947年に取り壊された。歴史地区は2014年に世界遺産に登録された。
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