チャタル・ヒュユク
Çatalhöyük
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時間の物差し
前3000年起点 前7400年現在
成り立ち
チャタル・ヒュユクはトルコ中部コンヤ平原にある2つの遺丘である。ユネスコによれば、高さ最大20mの東丘には前7400〜前6200年の新石器時代の居住層が18層重なり、西丘には前6200〜前5200年の銅石器時代の集落が続いた。同じ場所で2000年以上暮らしが営まれた。
町には通りがなく、日干し煉瓦の家が壁を接して並び、人々は屋根の穴から出入りした。死者は床や炉、寝台の下に葬られた。家の中には壁画や浮彫、彫像が残り、2500点を超える土偶が見つかっている。
遺跡は1958年の地域調査でジェームズ・メラートが見つけ、1961〜1965年に4シーズン発掘した。1993年からは英国のイアン・ホッダーが調査を率い、2018年まで続いた。2012年に世界遺産に登録された。
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