ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域
Ancient City of Tauric Chersonese and its Chora
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時間の物差し
前3000年起点 前500年現在
成り立ち
ケルソネソス・タウリケは、黒海北岸、クリミア南西部のヘラクレア半島に、前5世紀にドーリア系ギリシア人が築いた植民市である。町の周りの農業領域(コーラ)は約1万haの土地が400の同じ大きさの区画に分けられ、ブドウ搾り場や防御の塔の跡が残る。ユネスコによれば、町は黒海で最も多くのワインを生む中心地だった。
前110年ごろ、町はミトリダテス6世を呼び入れ、ボスポロス王国に服した。前1世紀半ばから370年代まではローマの守備隊が置かれ、その後はビザンツ帝国の拠点となった。980年代にはウラジーミル1世がこの町を奪い、988年にここで洗礼を受けたとされる。
町は1299年にジョチ・ウルスのノガイの軍に略奪され、1400年ごろまでに放棄されたとみられる。発掘は1827年に始まり、40haの都市域のうち約10haが掘られた。2013年にウクライナの遺産として世界遺産に登録され、2026年に危機遺産リストに記載された。
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