アルビールの城塞
Citadel of Erbil
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時間の物差し
前3000年起点 前5000年現在
成り立ち
アルビールの城塞は、イラク北部クルディスタン地域の都市アルビールの中心にそびえるテル(遺丘)である。テルとは、同じ場所で何世代もの人々が暮らし、建て直しを重ねてできた丘をいう。丘は周りの平地から25〜32mの高さがあり、頂上は430m×340mの楕円形に広がる。人が住んだ確かな証拠は紀元前5千年紀にさかのぼる。
町の名はイルビルム、ウルビルム、アルバイル、アルベラなどとして、古くから文書に現れる。新アッシリア時代には重要な政治と宗教の中心で、「アルベラのイシュタル」はアッシリアの主要な女神の一つだった。紀元前331年には、アレクサンドロス大王がこの近くのガウガメラで戦った。
1258年、モンゴル軍は6か月の包囲の末に城塞を落とした。いまの家並みは主に19〜20世紀のもので、オスマン時代末期の路地が大門から扇形に広がる。1960年には南北の門を結ぶ道路のために60軒以上の家とモスク、学校が壊された。2007年には修復計画のため残る840家族が立ち退き、居住が途切れないよう1家族だけが残った。2014年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。