コルヴァイ
Princely Abbey of Corvey
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時間の物差し
前3000年起点 815年現在
成り立ち
815年、皇帝ルートヴィヒ敬虔帝はヴェーザー川の東に修道院を開くと告げた。816年に最初の修道士が来て、822年に今の場所へ移り、ここを「新しいコルビー」と呼んだ。823年には、のちに「北欧の使徒」と呼ばれるアンスガルが修道院の学校を開いた。
873年から885年に建てられた西構えは、この時代の西構えとして唯一立ち続けている建物である。内部には等身大の漆喰の人物像と神話のフリーズがあり、壁画は古代の神話をキリスト教の目で描いたカロリング朝で唯一の例とされる。10世紀には修道院の学校で学んだヴィドゥキントが『ザクセン人の事績』を書いた。
1508年、ここでタキトゥスの『年代記』第1巻から第6巻の写本が見つかった。修道院は1803年に世俗化され、1860年から1874年には『ドイツの歌』を書いた詩人ホフマン・フォン・ファラースレーベンが図書館の司書を務めた。2014年に世界遺産に登録された。
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