ペルガモンとその重層的な文化的景観
Pergamon and its Multi-Layered Cultural Landscape
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時間の物差し
前3000年起点 前301年現在
成り立ち
前301年、トラキア王リュシマコスがペルガモンの町を手に入れ、部下のフィレタイロスが町を広げた。フィレタイロスは前281年に独立してアッタロス朝を開き、アッタロス1世は前238年にガラティア人を破って独立王国を築いた。前188年のアパメイアの和約で小アジアの旧セレウコス朝領のほぼすべてを得たのち、エウメネス2世(在位前197〜前159年)の時代に町は大規模に建て直された。
急な斜面には神殿、劇場、ストア、ギムナシオン、大祭壇、少なくとも20万巻を収めた図書館が段状に築かれ、図書館はアレクサンドリアに次ぐ規模だった。前133年、跡継ぎのいないアッタロス3世はペルガモンをローマに遺贈し、町はローマのアシア属州の首都となった。医学者ガレノスはこの町に生まれ、癒やしの神殿アスクレピオンで学んだ。
ローマ時代には大きな円形闘技場、水道、トラヤヌス神殿、セラピス神殿がつくられた。ビザンツ時代には中規模の町となったが、黙示録の7つの教会のひとつであり続け、オスマン時代にはモスクや浴場、橋が重なった。2014年に世界遺産に登録された。
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