クリスチャンスフェルド
Moravian Church Settlements
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時間の物差し
前3000年起点 1722年現在
成り立ち
1415年に改革者ヤン・フスが火刑に処されたあと、ボヘミアとモラヴィアには兄弟団(ウニタス・フラトルム)が生まれた。18世紀、ハプスブルク家の対抗宗教改革に追われたドイツ語を話す信徒たちは、1722年からザクセン領の上ラウジッツへ移った。ツィンツェンドルフ伯爵は自分の領地に彼らを迎え、こうしてヘルンフートが生まれた。名は「主の見守り」を意味する。
1732年、ヘルンフートから2人の兄弟がデンマーク領西インド諸島へ向かい、最初の組織的なプロテスタント宣教が始まった。1741年のクリスマス・イブ、ツィンツェンドルフらはペンシルベニアのモノカシー川とリーハイ川の合流点に入植地を開き、イエスの生まれた町にちなんでベツレヘムと名づけた。どの集落にも教会、共同体の家、独身者や寡婦が暮らす共同住宅、墓地「神の畑」が計画的に置かれ、北アイルランドのグレースヒルも同じ考えで造られた。
デンマークのクリスチャンスフェルドは1773年に創られ、国王クリスチャン7世の名を冠している。王は10年間の免税と新築費用の1割負担を約束し、町の大半は1800年までに建った。2015年にクリスチャンスフェルドが世界遺産になり、2024年にヘルンフート、グレースヒル、ベツレヘムが加わって4か国にまたがる遺産となった。
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