写真: 문화재청 / KOGL Type 1 / Wikimedia Commons · トリミングあり
百済考古遺跡
Baekje Historic Areas
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時間の物差し
前3000年起点 475年現在
成り立ち
百済歴史遺跡地区は、韓国中西部の公州、扶余、益山にある8つの遺跡からなり、百済(紀元前18年〜660年)の後期にあたる475〜660年を伝える。百済は漢江のほとりの漢城(現在のソウル)で興ったが、高句麗に都を奪われ、475年に熊津(公州)へ移って公山城を築いた。
538年、聖王は都を泗沘(扶余)に移し、王宮、山城、王陵、都を囲む羅城を整えた。益山は副都とされ、武王のもとで百済最大の寺院弥勒寺が建てられた。百済は660年、唐と結んだ新羅に敗れて滅んだ。UNESCOは、これらの遺跡が朝鮮、中国、日本の古代王国の間の技術、仏教、文化、芸術の交流の交差点にあったと評価している。
公州の宋山里古墳群にある武寧王陵は、1971年に隣の古墳の排水工事中に偶然見つかり、盗掘されないまま残っていた。王と王妃の名と没年を刻んだ墓誌石が出て、『三国史記』の記述と一致することが確かめられた。弥勒寺跡は1980年に発掘され、8遺跡は2015年7月8日に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。