写真: Fg2 / Public domain / Wikimedia Commons · トリミングあり
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
Hidden Christian Sites in the Nagasaki Region
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時間の物差し
前3000年起点 1549年現在
成り立ち
日本にキリスト教が伝わったのは1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したときである。その後、豊臣秀吉と徳川家康のもとで弾圧が強まった。1637年12月から1638年4月まで続いた島原・天草一揆では、天草四郎を指導者とする一揆勢が原城に籠もり、落城後に約3万7千人が処刑された。
一揆のあと、幕府は禁教を一層厳しくした。宣教師がいなくなった中で、キリシタンは長崎や天草の海辺や離島の小さな集落で信仰をひそかに受け継いだ。出津、大野、春日、﨑津の集落は禁教初期の17世紀にでき、黒島、野崎島、頭ヶ島、久賀島、奈留島の集落は18世紀以降の移住で築かれた。
1864年、フランス人宣教師プティジャンとフューレの設計で大浦天主堂が完成した。1865年3月17日、浦上の人々がプティジャン神父に自分たちがカトリック信者であると明かし、潜伏キリシタンの存在が知られた。禁教は1873年に解かれた。2016年にICOMOSの指摘を受けて推薦を取り下げ、禁教期に焦点を絞り直して、2018年6月30日に12資産が世界遺産に登録された。
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