中世墓碑ステチュツィの墓所群
Stećci Medieval Tombstone Graveyards
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時間の物差し
前3000年起点 1150年現在
成り立ち
ステチュツィ(単数形ステチャク)は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナを中心に、セルビア西部、モンテネグロ西部、クロアチア中部と南部に残る中世の墓石である。12世紀後半から16世紀にかけて造られ、多くは14世紀と15世紀のものだ。3,300を超える墓地に7万基以上が残り、その大半は近くで切り出した石灰岩でできている。
墓地は中世ヨーロッパで一般的だったように列をなして並び、一つの墓に一基のステチャクが置かれた。形は板、箱、切妻屋根、十字、柱の五つに分けられ、十字や武器、太陽と月、鹿、踊る人々、狩りの場面などが彫られた。キリル文字の銘文も多く、「スミス」と呼ばれた石工の名が刻まれたものもある。ストラツ近くのボリュニ墓地では、歴史家ボグミル・フラバクが1953年、石工グルバチが1477年までにボゴヴァツの墓石を造ったと結論づけた。
ステチャクという呼び名が記録に現れるのは19世紀半ばで、学者の関心もその頃に始まった。16世紀には宗派ごとに墓地を分ける習慣が広まり、ステチュツィは造られなくなったと考えられている。4か国による共同推薦の準備は2009年に始まり、2016年、28か所の墓地が世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。