ピリッポイ
Philippi
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時間の物差し
前3000年起点 前360年現在
成り立ち
紀元前360年か359年、タソス島からの植民者がオルベロス山のふもとにクレニデス(「泉」の意)という町を開いた。紀元前356年、マケドニア王ピリッポス2世がこれを奪ってピリッポイと名を改め、城壁を築き、湿地の一部を干拓し、近くで金が見つかると造幣所を置いた。町はヨーロッパとアジアを結ぶエグナティア街道の上にあった。
紀元前42年10月、アントニウスとオクタウィアヌスは町の西の平原でブルトゥスとカッシウスの軍を破った。戦いの後に退役兵が入植してローマの植民市となり、紀元前27年にオクタウィアヌスがアウグストゥスの称号を得ると、コロニア・アウグスタ・ユリア・フィリッペンシスと改称された。紀元49年から50年ごろには使徒パウロが訪れ、紫布の商人リディアが洗礼を受けた。
343年ごろにはパウロの名を冠した小さな聖堂が建ち、5世紀末には八角形の教会を中心とする大聖堂に建て替えられた。7世紀初めの地震で町はほぼ壊滅して立ち直らず、14世紀のオスマン帝国による征服の後に放棄された。フランスとギリシャの発掘で劇場、フォルム、バシリカ、司教館が姿を現し、2016年に世界遺産に登録された。
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