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サンボー・プレイ・クック
写真: Ms Sarah Welch / CC0 / Wikimedia Commons · トリミングあり

サンボー・プレイ・クック

Sambor Prei Kuk
WHC 15322017年登録12.87°N 105.04°EWikipedia 31言語

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時間の物差し
前3000年起点 616年現在

成り立ち

サンボー・プレイ・クックはカンボジアの遺跡で、クメール語で「森の豊かさの中の寺院」を意味する。6世紀末から7世紀初めに栄えた真臘(チェンラ)の都イーシャナプラにあたるとされる。都をここに置いたのはイーシャナヴァルマン1世(在位616〜637年)で、616〜617年には隋の宮廷に初めて使節を送った。

北群と南群は7世紀のもので、イーシャナヴァルマン1世に帰され、627年9月13日付の碑文が北群の主祠堂の建立を伝える。中央群はのちの9世紀ごろのものとされる。遺跡には100を超えるれんが造りの祠堂があり、なかには東南アジアでほかに例のない八角形の祠堂もある。まぐさ石や破風を飾る砂岩の彫刻は「サンボー・プレイ・クック様式」と呼ばれ、のちのアンコール時代のクメール様式の土台となった。

1970年のクーデター後、アメリカ軍の爆撃が遺跡内のクメール・ルージュの拠点を狙い、祠堂の近くに穴が残った。ゲリラが埋めた地雷が取り除かれたのは2008年である。2017年、寺院地区約840haが世界遺産に登録された。

データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。