写真: 「Cais do Valongo e da Imperatriz」Halley Pacheco de Oliveira / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり
ヴァロンゴ埠頭
Valongo Wharf
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時間の物差し
前3000年起点 1774年現在
成り立ち
ヴァロンゴ埠頭はブラジル、リオデジャネイロ中心部の旧港地区にある。1770年代半ばまで、アフリカから連れてこられた奴隷は町の中心の浜で船を降り、大通りで売られていた。1774年、副王ラヴラジオ侯爵の命で奴隷市場は町外れのヴァロンゴ地区に移され、1811年には奴隷の陸揚げのための石の埠頭が築かれた。
1808年にポルトガル王室がリオに移ると町は大きくなり、奴隷の輸入も急増した。UNESCOによれば、ヴァロンゴを経て南米に着いたアフリカ人は推定90万人にのぼる。1831年に大西洋奴隷貿易が禁じられると埠頭は閉じられたが、密輸は他の場所で続いた。1843年には皇帝ペドロ2世に嫁ぐテレサ・クリスティーナを迎えるため上に盛り土がされ「皇后の埠頭」となり、1911年の都市改造で埋められた。
2011年、2016年五輪に向けた港湾再開発の発掘で、2つの埠頭が重なった状態で見つかり、コンゴ、アンゴラ、モザンビーク由来のお守りや祭具も多く出土した。最下層にはペ・ジ・モレッキと呼ばれる石敷きが残る。2017年7月に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。