アスマラ:近代主義的アフリカ都市
Asmara: A Modernist African City
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時間の物差し
前3000年起点 1889年現在
成り立ち
標高2,000mを超える高原のアスマラは、19世紀には小さな村だった。1889年にイタリアに占領されると、イタリア植民地の軍の拠点として育ち、1897年に総督フェルディナンド・マルティーニがイタリア領エリトリアの首都とした。
1935年以降、大規模な建設が進み、役所、住宅、商店、教会、モスク、シナゴーグ、映画館、ホテルにイタリア合理主義の様式が用いられた。中心部の大半は1935〜1941年に建てられた。1937年に映画館インペロが開き、1938年には技師ジュゼッペ・ペッタッツィ設計のフィアット・タリエロ給油所が、長さ15mの鉄筋コンクリートの翼を左右に張り出して完成した。1939年の国勢調査では人口98,000人のうち53,000人がイタリア人だった。
世界遺産の範囲は、1893年から1941年までの何段階かの計画でできた市街と、計画によらない先住の地区アルバテ・アスメラとアバシャウェルを含む。1961〜1991年の独立戦争でも町はあまり損なわれず、独立後に再びエリトリアの首都となった。2017年7月に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。