ロシア・モンタナの鉱山景観
Roșia Montană Mining Landscape
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時間の物差し
前3000年起点 106年現在
成り立ち
ロシア・モンタナはルーマニア西部、アプセニ山地の鉱山村である。トラヤヌス帝の時代、ローマ人はダルマチアから来たイリュリア人を入植させ、鉱山町アルブルヌス・マイオルを築いた。106年から166年の間に、ローマ人はここから約500tの金を掘り出した。地下には総延長7kmの坑道を掘り、水車を据えた。
町の名が初めて記録に現れるのは、131年2月6日の日付をもつ蝋板である。蝋を塗った木の書板は25枚見つかり、法や経済、暮らし、人々の言葉を伝えている。ローマ人は271年にダキアを去った。中世から近代にも採掘は続き、のちの坑道はローマ時代の坑道を取り巻き、横切っている。
1948年に鉱山は国有となり、1975年にはチェタテに露天掘りの穴が開かれたが、2006年に閉山した。その後、シアン化物を使う大規模な金鉱開発の計画が持ち上がり、2013年には全国で抗議が起き、2014年6月3日に下院が計画を退けた。2021年、世界遺産に登録されると同時に、採掘権が残ることから危機遺産リストにも載った。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。