パセオ・デル・プラドとブエン・レティーロ、芸術と科学の景観
Paseo del Prado and Buen Retiro, a landscape of Arts and Sciences
Wikipediaで記事がある言語の数を、世界での知られ方の目安にしています。行った人・行きたい人の数は、利用者が増えてから表示します。
アプリで記録する
朱印・行きたい・立った年は、iPhoneアプリで記録します。
時間の物差し
前3000年起点 1561年現在
成り立ち
パセオ・デル・プラドの名は、サン・ヘロニモ修道院のまわりの野原「ヘロニモ会の牧草地」に由来する。1561年に宮廷をマドリードに移したフェリペ2世は、修道院に付属した王の離宮を広げさせた。1630年代、オリバーレス伯公爵が庭園と宮殿を造らせ、ブエン・レティーロはフェリペ4世の宮廷の舞台となった。
18世紀、カルロス3世は並木道を啓蒙思想にもとづく芸術と科学の空間に作り替えた。シベーレス、ネプトゥーノ、アポロの噴水が並び、植物園は1781年にこの地で開かれた。1785年にフアン・デ・ビリャヌエバが自然史陳列館として設計した建物は、1819年11月にプラド美術館として公開された。
宮殿と庭園の大半は1807年から1814年の半島戦争で失われ、生き残った建物はカソン・デル・ブエン・レティーロと諸王国の間の2つだけである。1868年の革命の後、庭園は公有となった。2021年、約200haのこの都市景観が世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。