写真: 「0 Amiens - Cathédrale Notre-Dame (1)」Jean-Pol GRANDMONT / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons · トリミングあり
アミアン大聖堂
Notre-Dame d'Amiens
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時間の物差し
前3000年起点 1220年現在
成り立ち
1206年、コンスタンティノープルから洗礼者ヨハネの頭部とされる聖遺物がもたらされ、アミアンは大きな巡礼地になった。1137年から1152年にかけて建てられたロマネスク様式の大聖堂は1218年の火災で焼け、1220年、司教エヴラール・ド・フイヨワが、建築家ロベール・ド・リュザルシュの設計による新しい聖堂の最初の石を据えた。
リュザルシュは、部材ごとに石を削り出すのではなく、決まった寸法と形にそろえた石を使って工事を進めた。建築家はロベールからトマ・ド・コルモン、その子ルノー・ド・コルモンへと引き継がれ、建物の主要部は1世紀足らずで完成した。工事は珍しく西の身廊から東へと進み、ヴォールトの下の壁は高さ42mに達する。容積は約20万立方メートルで、フランスで最も大きい。
交差部の柱にひびが入り、1498年、ピエール・タリゼルがトリフォリウムの高さに錬鉄の鎖を巡らせた。鎖は赤く熱した状態で取り付けられ、冷えて締まることで柱が外へ広がるのを防いでおり、いまも残っている。フランス革命で多くの彫刻が壊され、1849年から1874年にはヴィオレ・ル・デュクが修復を率いた。1981年に世界遺産に登録され、2001年に終わった西正面の修復では、彫刻に残る当初の彩色の跡が見つかった。
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