チンチョーロのミイラ
Chinchorro mummies
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時間の物差し
前3000年起点 前5450年現在
成り立ち
チリ最北部、アタカマ砂漠の乾いた海岸に、紀元前5450年ごろから前890年ごろまで、海の幸で暮らす狩猟採集民チンチョーロの人々が住んだ。自然に乾いて残った最古の遺体は紀元前7020年ごろのアチャ人である。人の手でミイラにした例は紀元前5050年ごろまでに始まり、最古のものはカマロネス谷に葬られた子どもだ。
チンチョーロの人々は、男も女も子どもも、身分を問わず遺体をいったん解体して組み直し、ミイラにした。考古学者ベルナルド・アリアサは、その作り方を黒、赤、包帯巻き、泥塗りの4つに分けた。黒いミイラは紀元前5000年ごろから前2800年ごろ、赤いミイラは前2570年ごろから前2090年ごろにつくられた。
1914年からの調査で、これまでに約282体が記録された。2016年の研究は、湿度が75〜80%を超えると皮膚の傷みが急に進むことを示した。アリカ市内の2か所とカマロネス川の河口の計3か所が、2021年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。