シュパイアー、ヴォルムス、マインツのユダヤ人共同体遺跡群
ShUM Sites of Speyer, Worms and Mainz
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時間の物差し
前3000年起点 1034年現在
成り立ち
ShUMはライン川上流の司教座都市シュパイアー、ヴォルムス、マインツのヘブライ語名の頭文字をとった呼び名である。中世、3都市のユダヤ人共同体は互いに結びつき、共同の規定「タッカノート・ShUM」を定めて、アシュケナジ系ユダヤ人の生活の中心となった。UNESCOによれば、特に11〜14世紀に独自の慣習と共同体の姿が形づくられた。
ヴォルムスのシナゴーグは1034年に最初の建物が建てられ、1096年の第1回十字軍の際に破壊されたのち、1175年にロマネスク様式で再建された。1186年には地下のミクヴェ(儀礼用の浴場)、1213年には女性のためのシナゴーグが加わった。近くの墓地「ハイリガー・ザント」には1058/59年の墓石が残り、判読できるものとしてはこれが最古である。
マインツには10世紀にゲルショム・ベン・ユダのイェシヴァ(学塾)が開かれ、ヨーロッパ各地から学ぶ者が集まった。シュパイアーには会堂、女性用会堂、学塾の遺構、今も保たれた地下のミクヴェが残る。ヴォルムスのシナゴーグは1938年の水晶の夜に瓦礫となり、1961年にできるだけ元の石を使って再建された。4つの構成資産は2021年に世界遺産に登録された。
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