アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群
Arles, Roman and Romanesque Monuments
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成り立ち
アルルは南フランス、ローヌ川沿いの町で、古代都市が中世ヨーロッパの都市へと生まれ変わった姿をよく残す。最も古い円形闘技場、古代劇場、地下回廊クリプトポルティクスは紀元前1世紀から紀元1世紀のもので、ローマ人がガリアにもたらした都市施設を伝える。闘技場は西暦90年ごろに建てられ、長さ136m、幅109mで2万人以上を収めた。
4世紀にアルルは政治と宗教の都として2度目の黄金期を迎え、コンスタンティヌス浴場やアリスカンの墓地の石棺がその跡を残す。西ローマ帝国が滅びると闘技場は4つの塔をもつ要塞となり、内側には200軒を超える家と広場、2つの礼拝堂が建ち並ぶ町になった。この住まいとしての役割は18世紀末まで続いた。
11〜12世紀、アルルは再び地中海世界の大きな都市となった。サン=トロフィーム教会は12世紀にロマネスク様式で建てられ、正面の「最後の審判」の彫刻と回廊の柱はロマネスク彫刻の傑作とされる。19世紀には作家プロスペル・メリメの働きで闘技場が国の歴史的記念物となり、1826年から1830年にかけて中の家々が取り除かれた。1981年に世界遺産に登録された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。