リュブリャナのヨジェ・プレチニック作品群 - 人を中心とした都市計画
The works of Jože Plečnik in Ljubljana – Human Centred Urban Design
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時間の物差し
前3000年起点 1921年現在
成り立ち
ヨジェ・プレチニックは1872年にリュブリャナで生まれ、ウィーンでオットー・ワーグナーに学んでその事務所で働いた。1911年にプラハへ移り、1920年にはチェコスロバキア大統領マサリクに任じられてプラハ城改修の主任建築家となった。1921年、故郷に新設されたリュブリャナ建築学校の創設教員に招かれて戻り、1957年に亡くなるまでこの町で仕事を続けた。
オーストリア=ハンガリー帝国が解体すると、地方都市だったリュブリャナはスロベニア人の象徴的な首都へと変わっていく。プレチニックは2つの大戦の間に、古い町並みと対話しながら広場、公園、通り、遊歩道、橋、図書館、教会、市場、墓地を整えた。1842年に架けられた石橋の両側に歩道橋を加えた三本橋は1929年に設計され、1931〜1932年に造られて1932年4月に開通した。
国立大学図書館は1941年に完成した。2021年、リュブリャニツァ川の岸辺と橋、図書館のあるヴェゴヴァ通りの「緑の遊歩道」、トルノヴォ橋、ミリェのローマ城壁、聖フランチェスコ教会、ジャレ墓地の万聖の庭、ツルナ・ヴァスの聖ミカエル教会が世界遺産に登録された。
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