モダニズム建築都市カウナス:楽天主義の建築、1919年-1939年
Modernist Kaunas: Architecture of Optimism, 1919-1939
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時間の物差し
前3000年起点 1919年現在
成り立ち
カウナスは1408年にヴィータウタス大公から都市の権利を与えられた古い町だ。1918年にリトアニアが独立を宣言すると、政府は1919年1月にヴィリニュスからカウナスへ退いた。ヴィリニュスは1939年までポーランド領のままで、カウナスは「臨時首都」となったが、その地位はどの公文書にも定められなかった。
1919年にはジャリャカルニス地区の残りが市に組み入れられた。1921年から1931年まで市長を務めたヨナス・ヴィレイシスのもとで、市域は18km²から40km²に広がり、上下水道が敷かれ、すべての通りが舗装され、馬車は路線バスに替わった。リガで学んだフェリクサス・ヴィズバラスやローマで学んだヴィータウタス・ランズベルギス=ジェムカルニスら、国外で学んだ建築家が新しい様式を持ち帰った。
1931年にはヴィズバラスの設計した中央郵便局ができ、1931年から1937年にかけて将校クラブが建った。キリスト復活教会は1933年に着工したが、1952年にラジオ工場に転用され、信者の手に戻ったのは1990年だった。カウナスの戦間期建築は2015年に欧州遺産ラベルを受け、2023年に世界遺産に登録された。
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