ペルシアのキャラバンサライ
Persian Caravanserai
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時間の物差し
前3000年起点 1100年現在
成り立ち
キャラバンサライは隊商や巡礼者、旅人に宿と食べ物と水を与えた道端の宿である。その道筋と位置は、水のありか、地形、安全によって決まった。イランのキャラバンサライの起源はアケメネス朝の時代にさかのぼるとされ、世界遺産には24の州にある54のキャラバンサライが選ばれた。
マルウとニーシャープールの間にあるロバーテ・シャラフは、セルジューク朝の12世紀に建てられた。ゴムの北東80kmにあるデイレ・ガチンは「イランのキャラバンサライの母」と呼ばれる。1588年に即位したサファヴィー朝のアッバース1世は国中にキャラバンサライの網を築かせ、マフヤールはイスマーイール1世(在位1501〜1524年)の時代に建てられた。ガズヴィーンのサアド・アッサルタネは19世紀後半に建てられた、イラン最大のキャラバンサライである。
イランには1000を超えるキャラバンサライがあり、そのうち700が国の文化財に登録されている。54の宿は数千kmにわたって散らばり、様々な建築様式、気候への工夫、建材を示している。2023年9月、リヤドで開かれた世界遺産委員会でまとめて世界遺産に登録された。
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