シュパイアー大聖堂
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成り立ち
1025年、皇帝コンラート2世は、西方キリスト教世界で最大の教会を自らの墓所としてシュパイアーに建てるよう命じた。工事は1030年、ライン川沿いの洪水の及ばない高台で始まり、1041年には地下聖堂が聖別された。1039年に没したコンラートは建設中の聖堂に葬られ、1056年には息子のハインリヒ3世がその隣に葬られた。聖堂は1061年に聖別された。
1090年ごろ、コンラートの孫ハインリヒ4世は東側を取り壊して基礎を補強し、身廊を5m高くして、平らな木の天井を石の交差ヴォールトに替えた。屋根の下には建物全体を一周する小さなアーケードの回廊が設けられた。建物全体を巡る回廊としては、知られる限り最初の例である。全長134mに広がった聖堂はハインリヒが没した1106年に完成し、以後約300年にわたって、コンラート2世からハプスブルク家のアルブレヒト1世まで8人の皇帝と国王がここに葬られた。
1689年、大同盟戦争のさなかに聖堂は火災で大きな被害を受け、身廊の西側が崩れ落ちた。身廊は18世紀に再建され、バイエルン王ルートヴィヒ1世のもとで1846年から1853年に内部が壁画で飾られ、1854年から1858年にはハインリヒ・ヒュプシュがネオ・ロマネスク様式の西構えを建てた。1900年の発掘で皇帝たちの墓が見つかり、棺は1906年に新しく造られた地下の墓室に移された。1981年に世界遺産に登録された。
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