ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場
Würzburg Residence with the Court Gardens and Residence Square
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時間の物差し
前3000年起点 1720年現在
成り立ち
18世紀の初めまで、ヴュルツブルクの領主司教はマイン川西岸の丘に建つマリエンベルク要塞に住んでいた。1719年に領主司教となったヨハン・フィリップ・フランツ・フォン・シェーンボルンは、その年に訴訟で60万フローリンを勝ち取り、ヴェルサイユやシェーンブルンに並ぶ宮殿を求めてこの資金を建設にあてた。1720年5月22日に礎石が置かれ、宮廷建築家バルタザール・ノイマンが工事を率いた。
設計にはウィーンのルーカス・フォン・ヒルデブラント、パリのロベール・ド・コットとジェルマン・ボフランも加わり、建物の外郭は1744年12月に完成した。1750年代の初め、ヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロが息子たちとともに階段室の天井に約580m2のフレスコ画を描いた。一続きの天井画として世界最大のものである。総工費は150万グルデンを超え、当時の日雇い労働者の週給は1グルデンだった。
1945年3月16日のイギリス軍の空襲で建物はほぼ焼け落ちたが、ノイマンの石造ヴォールトは崩れず、階段室や皇帝の間を含む中央部は残った。再建は1945年から1987年まで続き、約2000万ユーロがかかった。宮殿と宮廷庭園、レジデンツ広場は1981年に世界遺産に登録された。
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