ラシード・カラーミー国際見本市
Rachid Karami International Fair
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時間の物差し
前3000年起点 1960年現在
成り立ち
1960年5月4日の政令で、レバノン北部トリポリに国際見本市の用地が定められ、1961年に土地の収用が終わった。ベイルートではなくトリポリに置いたのは、地域の格差を縮める狙いからだった。独立後の近代化を進める政府は国際的に名の知られた建築家を求めてブラジルのオスカー・ニーマイヤーを選び、ニーマイヤーは1962年7月に現地に入って2か月で全体計画をまとめた。
設計は1962年から1967年まで、工事は1967年から1975年まで続いた。旧市街と港町ミナのあいだの70haの敷地に、各国が展示を並べるブーメラン形の巨大な屋根付きホール、直径60mのドームをもつ実験劇場、宇宙博物館、野外劇場などが配された。実施設計と入札図面はレバノンの技術者が作り、大規模な鉄筋コンクリート造の経験は次の世代のレバノンの建築家に影響を残した。
1975年に内戦が始まると工事は止まり、敷地は軍の野営地となって、建物は銃撃戦で傷み略奪を受けた。戦後も活用は進まず、コンクリートの劣化や鉄筋の腐食が進んでいる。2023年、世界遺産に登録されると同時に危機遺産リストにも記載された。
データ:Wikidata(CC0)。写真:Wikimedia Commons(各写真のライセンスに従う)。試作版のため、誤りを含む可能性があります。改善のため、利用状況を匿名で計測しています(PostHog・EU)。