アッピア街道
Appian Way
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時間の物差し
前3000年起点 前312年現在
成り立ち
前312年、ローマの監察官アッピウス・クラウディウス・カエクスは、サムニウム戦争のさなかに、ローマから南へ向かう軍用道路の建設を始めた。道はアルバーノ丘陵をまっすぐ越え、ポンプティーノ湿地を約31kmの石の土手道で渡ってカプアに至った。アッピウスは同じころ、ローマの水道アクア・アッピアも築いている。
道はその後ベネウェントゥム、タレントゥムを経てブルンディシウム(現在のブリンディジ)まで延ばされた。109年には皇帝トラヤヌスが、ベネウェントゥムからアドリア海沿いにブルンディシウムへ向かう支線トラヤナ街道を開いた。前71年、スパルタクスの反乱が鎮圧された後、6,000人の奴隷がローマからカプアまでの約200kmの沿道で十字架にかけられた。
11世紀から沿道の建物は防御施設に変わり、巡礼者や十字軍がこの道を通って聖地へ向かった。ルネサンス期には教皇庁が修復を行い、1784年には教皇ピウス6世のもとで並行する新アッピア街道が造られた。2024年、800kmを超える道の19の構成資産が世界遺産に登録された。
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